アキヤマ倶楽部

くだらない雑記

結婚式の惨事

私は大学時代競技チアリーディグをやっていた関係で、今でも友人の結婚式で演技を披露することがある。華やかな席にピッタリの演出で、とても盛り上がるし、有り難がられる。

 

当時、私は28歳くらいだったと思う。いつものように、結婚式の余興にて演技をするべく綿密に打合せをし、練習を重ね、本番に挑んだ。

 

演技2,30分前には10人くらいで披露宴会場をこっそり退出し、準備をして、演技に備える。程良い緊張感が皆を包んでいた。今回は、妊娠中で演技に参加できない子がビデオを撮ってくれると言い、会場へ戻って行った。

 

私は、現役の頃より10キロ近く太っている。

でも、今回、現役の頃と同じユニフォームを着なければならない。

スタンバイの声が掛って、私は慌てて、パッツンパッツンのユニフォームを着た。

「タイトなジーンズに捻じ込む」状態。わき腹の部分なんて、正に「私という戦うボディ」状態。肉が「外に出たいよぅ」と横へ横へとはみ出さんとしていたが、私は見て見ぬフリをした。

スカートのボタンは当然締まらず、ファスナーすら危うい。仕方なく、ファスナーも半分開放の状態で出ることにした。致し方ない。

 

現役時代は黒いレオタードを着て、「通称:赤パン」と呼ばれる赤いパンツを穿いて、生足だった。その頃でも、私の生足は結構パンチの効いたものだったが、現在なんて、10倍パンチが効いたものになっている。じゅうべぇかめはめは。

 

私は、ユニクロの黒いタートルネックを着て、その下に黒いスパッツを穿いた。ユニフォームを脱げば、もじもじくんが出てくる寸法だ。

準備万端と、私たち10人は、扉の前にスタンバイし、ウェディングプランナーの合図とともに、会場に飛び出していった。

 

列席者が皆一斉に「おおー!!」と歓声をあげ、新郎新婦は真ん中の一番演技が見える位置に移動していた。

 

私たちは、ダンス、スタンツ(人が人を乗せるやつ)を披露する。私の見せ場は、スコーピオンという技だ。この技は、フィギュアのビールマンスピンの形とほぼ同じだ。私は、こんな体重ながらも当時は人の上に乗っていた。今回も人の上に乗せていただいて、私は形の崩れたスコーピオンを披露した。技がキマッてホッとして、ビデオ撮影の子の方に目線を送った。

「成功したよー!」って。その子は、信じられないという目でこちらを凝視していた。

私は、少しその目線に違和感を覚えたが、その時はアドレナリン垂れ流し状態のため、「そんなに信じられないか!お前の目の前で起こっているこの素晴らしい演技は現実だぜぇ!!」と思っていた。

そして、最後のダンスをやりきって、私たちは温かい拍手と新郎新婦の涙・・・流してないな。まぁ、いいや。とりあえず、やりきって、控え室に戻ったわけです。

 

控え室にはビデオを撮っていた友人が既に怖い顔で待っていた。

怖い顔・・・?

その子は、私に近づき、「この、恥さらし!!」と割とマジな感じで怒ってきた。

私は固まった。何が起きたか分からなかった。

 

「パンツ!あんた、パンツ見えてた!」

「あんた、超ヤバかったよ。」

 

私は、自分のスカートをめくり、その場で確認すると、黒のレギンスの腰回り部分が擦り切れてスッケスケになっており、その日着用していたピンクのおパンティーちゃんが丸見えだった。

スケスケは、股部分にも続いており、スコーピオンの際も丸見えであったと推測される。

パンチラなんてもんじゃない。

 

「あんた、ほんっとに酷かったよ!」

と下で見ていた子たちからも言われ、私の中ですべてが腑に落ちた。

 

途中から、なんなら序盤のハイキックの時から、会場から漏れる戸惑いの悲鳴。あれは、感動の歓声ではなかったんだ。演技中の仲間の目線、終わってからの新郎新婦、特に新婦の唖然とした顔。会場の戸惑いの拍手。

全ての状況が腑に落ちた。点と点が線で繋がった。

 

私は、演技後も会場に戻らねばならなかった。その居心地の悪さたるや、尋常ではなかった。新婦の読む感動的な手紙も、エンドロールの間も、羞恥心に心を蝕まれていた。

「演技良かったです」と写真を求められる場面でも、「こいつがあのおパンツ野郎か」と思われているかと思うと、笑顔も完全に引きつってしまう。

 

式が終わって、私は新婦に謝罪した。

「アキヤマらしくて良かったよ」

と笑って許してくれました。

ちょっと笑いすぎじゃないかってくらい、笑ってた。

 

それから、演技にお呼ばれしていただいた時は、絶対透けないレギンスを2枚重ねにしている。

30歳のパンツなんて、事故以外の何者でもないのだから。